3月に思う 2月22日
「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」とはよく言ったもので、ついこの間新年を迎えたと思っていましたが、2か月が過ぎようとしています。学校生活も3年生は残すところ10日あまり、1・2年生も20日ほどとなりました。
「時が早く経つ」から思い出されるのが、東日本大震災です。今年の3月11日でちょうど10年になります。あれからもう10年も経つのかと思ってしまいますが、被災をされた方々にとってのこの10年間の重さはいかばかりだったかと思わずにはいられません。
被災当時、宮城県気仙沼市の階上(はしかみ)中学校で、発生10日後の3月22日に行われた卒業式において読まれた、卒業生代表の梶原裕太君の答辞を一部紹介します。(当時多く報道され、大変有名になったものです。)
(前略)階上中学校といえば「防災教育」と言われ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私達でした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むご過ぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。(中略)
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。
私たちは今、それぞれの新しい人生の第一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友だちが、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。(以下略)
被災者の方のような悲しみや苦しみを味わった訳ではありませんが、私たちも今まさに制約の多い生活を続けています。「当たり前」のありがたさは誰しもが感じていることではないでしょうか。このように、人には避けて通れない苦しみや悲しみがあります。しかし、そのような中でどのように考え行動するかは、私たち一人一人にかかっています。自分の一度きりの人生をどのように創り上げていくかは、自分にしかできないことです。
これからも被災者の方々が希望をもち生活されることを祈るとともに、私たちも状況に左右されず、自分の生活を充実させていくことができますように。